●この時代の主な英国の動き
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1851年 |
万国博覧会がロンドンのハイドパークで開催され、国際的な注目を集め成功裏に終わる。 |
1858年1月 |
パーマストン卿がフランス皇帝ナポレオン三世の謀殺を試みたオルシーニの陰謀の処理にあたったが、その結果生じた騒動により辞任に追い込まれる。 |
1866年7月 |
ラッセルの総理大臣辞任を要求したロンドンの群集がハイドパークから警察によって排除される。この騒動により、ダービーとディズレーリはさらなる議院改革の必要性を確信する。 |
1875年 |
エジプトがその負債を支払う資金を捻出させるため、英国はスエズ運河のエジプト領土を購入する。 |
1882年 |
英軍が最重要貿易路でありインドへの通路でもあるスエズ運河を囲む地域を占領したのち、エジプトは大英帝国の保護領となる。 |
1884年 |
ロンドンの中流知識階層の一団が社会主義の発展を目指してフェビアン協会を設立。クエーカー・エドワード・ピーズ、ヘイブロック・エリス及びエディス・ネスビットが参加していた。ジョージ・バーナード・ショー、H.G.ウェルズは後にこの会に参加することになる。ちなみにH.G.ウェルズは、タイムトラベルを題材にした有名なSF小説、「タイムマシン」の作者である。 |
1887年11月 |
13日の日曜日、多くが社会主義者と失業者から成る数万人の群衆が集結し、政府に対してデモを行った。市警察長官は武装した兵士と2000名の警察官に処理を命じたが、暴動が発生し、数百人の負傷者と2人の死亡者が発生した。この事件は「血の日曜日」事件と名づけられた。 |
1888年 |
「切り裂きジャック」として知られる殺人犯が娼婦を殺し死体を損壊する事件が相次ぎ、ロンドンを恐怖のどん底に突き落とした。新聞はこの死神を利用して、失業者の苦境に注目を集め、警察と政治的指導者を攻撃した。殺人鬼は結局捕まらず、真相は闇の中となった。 |